2018-12-22

むかしむかしの物語

ある時 ふと私はルビンシュタインというピアニストのことを思い浮かべた。
彼はもちろんすごいピアニストであったが、私の印象に凄い強烈な印象が刻み込まれているのは彼のは「火祭りの踊り」の演奏(姿と音)であった。彼の初来日が1936年だから私は彼のリサイタルを聴きに行っている筈なのにそのプログラムの曲目は私の中に何も残っていない。何故か「火祭り」の演奏が今でも私の中にあのドキドキした興奮と共に浮かび出てくる。私はその演奏を思い浮かべ、そして彼の演奏のどの点にあんな強烈な印象を受けたのだろうかと それを知りたくなり、その音をもう一度聴いてみたいと思い始めた。

「あの頃の私」はピアノとどのように接し、どの様に弾いていたのだろう?
6才の時 ピアノを買い与えられ10才くらいから外国留学帰りの東京音楽学校のピアノ科部長だった高折宮次先生のもとで個人教授につき、その他その他と音楽をやるために100%の境遇を整えられてたとはいいながら(私は今でもその境遇を整えてくれた私の母の本能的ともいえる教育に対する才能に畏敬の念を抑えられないが)それでも当時のピアノ(教育)はまだまだ初期で基本的に低かった。今 その当時を振り返ってみて想像もつかぬものだったといえよう。

さて 話を元に戻そう

そして私はその「火祭りの踊り」がDVDの中にあることを探しあてて漸くそれを手に入れたのである。CDなどで所謂"名演"となるものを聴き「わぁ やっぱりうまいなぁ!」と感嘆することは度々ある。しかしこのルビンシュタインは私にあの聴いた時のドキドキする興奮をもたらしたのであった。
彼のすごいリズム感、そしてその両手を交互に振り上げる激しさ、音楽そのものに集中しきった彼の厳しい顔つき!表情!
私はあの初めて聴いた時と同じ興奮に巻き込まれた。
そして面白いことに当時持っていたアメリカ文化というものの"雰囲気"がその中からフワッと流れ出して私を包み込んだのだった。
グレンミューラン物語も甘ったるい親子のお話だったし、「火祭りの踊り」もアメリカ文化の絶頂に咲いた華だった。
そのころ私たちの間では「だからアメリカ育ちのクラシックの音楽家は最後はヨーロッパに行かなきゃダメなのだ」という想いに浸されていた。今の若い人たちにそう言っても全然わからないことだろう。もちろんルビンシュタインの名誉のために言っておくが、それはアメリカ文化の頂上を突き抜けて実に立派なものだった。私は「そうか 歴史というものはこういうものか」と、その「雰囲気」をすっかり忘れていたということ、また同時に思い起こしていたことに我ながら興味深い出来事だったなと愛おしく思ったのである。

室井 摩耶子