2019-03-30

栄誉ある文化庁長官賞をいただきました


( 宮田文化庁長官と私 )


2019.03.18   虎ノ門にある文化庁庁舎の大広間で授与式。
宮田亮平文化庁長官自身から一人一人に渡されました。
文面には「長年にわたり、ピアニストとして活躍し我が国の芸術文化の振興に多大な貢献をされました。その功績をたたえ...」とあり、それを知った方々から本当に栄誉あるあるたくさんの祝福をいただきました。
私としては長年の日々をただ「音楽、音楽」と重ねて参り、だんだん目前に広がってくる音楽の素晴らしさに圧倒され続けて、参っているということなのですが 本当にここまで私を守り育ててくださった皆様にはただ感謝の念でありがとうと申し上げる次第でございます。
この頃、漸く素直に「ねぇ音楽って素晴らしいでしょ」と話しかけることができるようになりました。でも音楽の世界は限りないものでございますので、どうかこれからもよろしくご声援くださいませ。そしてご一緒にもっと素晴らしい美の世界を楽しみたいと願っています。

室井 摩耶子

2019-03-16

 この度 文化庁より長官賞を頂くことになりました。式は3月18日
これは我が国文化の振興への貢献、その海外発信、国際文化交流の貢献に対してこの文化庁長官賞...とのことで(案内書による)全く名誉なことである。
考えてみれば ただ一筋、ピアノピアノという90年であったが結果として世の中のお役に立ててこんな嬉しいことがあるだろうかと、その日が近づくのをワクワクしながら待っている、この日頃である。
「ピアノを弾く」だの「音楽をする」などと昨日から今日へ、そしてそのように明日へと毎日を重ねていって、いつの間にか「芸術家」などと空恐ろしい言葉に近づいた私だが、今「エリーゼのために」に溢れるベートーヴェンの音楽語の深さ・広さ、あらためて世の中にこんな素晴らしいものがあったのだと、生きているよろこびを感じる毎日を過ごしている。だから私の音楽を聴いてくださった方々が「あの響き、今でも私の中で何かを話しかけているみた様…」などと褒めてくださると、私は文字通り天にも昇るほどうれしくなってしまうのだ。
「音楽には音しかない」そうだ。昨日から今日が来たように私は毎日毎日を積み重ねていこう。あの天才の音楽語の限りない美しさに近づくために...。音楽ってなんと素晴らしいものだろう。そして「人間」というものも!!!

室井 摩耶子

2019-02-23

日常茶飯事

ふつうに歩いている時は全く”転ぶ”等と意識しないで歩いている。
いま 歳を取って、しかも大腿部骨折をしたなどの後遺症で「一人で杖なしで歩いてはいけません」「何より安全第一ですから」などと人から脅かされてオタオタと転びやしないかと一歩一歩気を付けて歩いている。
あのスタスタと歩いている人を見るたびに羨ましくてならない。それで あの"転ぶ"などということを考えないで”歩く”って何だろうと気を付けるようになった。つまり、かかとが先か、つま先に着地している運動なのかしらと考えながら歩いていると、ますます不安になりオタオタ度が増えてくる。皆さん”歩く”っていったいどんな運動なのか意識したことがおありですか?
じつはこの間、週刊誌に「女流作家」という字が出てきて、そういえば”作家”に女流という形容詞が付くのはおかしいと思ったことがあって、そういえば?と そのことをえらく意識してしまった。
作家といえば男性だったなぁと意識してしまう。言葉というものはなんと不思議なものだろうと思考をめぐらすことになった。そういえば この頃は女性作家という実に不愉快なニュアンスを持った言葉が出てきた。
この女流作家と女性作家はちょっと意味が違って使い方もその言葉のニュアンスに気を付けなければならないし私はやはり時代の移りを思わないではいられない。
”日常茶飯事” という定義も覚え直さなければならない。
どうも98歳という古い人間にとっては生きがたい時代となってきた!?というわけだ。
週刊誌の他のページには日本人は日本語が読めないとあったが…。
室井 摩耶子

2019-02-16

1月終わり頃、 東京芸術劇場で井上道義さんの総監督、森山開次さんの演出でモーツァルトのドン・ジョヴァンニの公演に出かけてきた。
オペラというので私はヨーロッパで観たオペラ経験からオペラ公演を想像したのだが(常識というのはファンタジーの自由な世界をずいぶん邪魔するものだと後で思い知ったのだが)それはモーツァルトの音楽とオペラの歌い手とそして舞踏のカテゴリーを新しく組み合わせた新演出の企画だった。主役のジョヴァンニとその他の配役はヨーロッパの歌手であって実に見事に歌っていた。
ブラボーという掛け声が盛んに飛び交っていた。
日本人のコロラトゥーラもよく歌っていた。張り上げたコロラトゥーラの声が見事に美しかったが、時にオペラの音楽の流れを遮りこれがあちらの歌唄いだと、もうちょっと音楽の流れに乗っていたのじゃないかとせっかくのテクニックの見事さに異質を感じさせたのはちょっと残念だった。そういえば井上道義さんはさすがにモーツァルトの音楽の要所要所を見事にまとめ上げ、演奏を大きな枠にはめ、昔の音楽の先生としては私は彼の音楽人間としての成長に本当に誇りを感じたのだった。もし私の思い違いでなければ”この新しい企画のフォームのオペラの将来はどんなのだろう”と期待にとらわれながら劇場を後にしたのである。
室井 摩耶子