2019-12-01

10月12日のはずだった長野県川上村への演奏旅行が台風のために1ヵ月延期になり、漸く11月16日に行ってまいりました。成城から車で永遠と4時間かけて行ったわけですが、途中から山々が迫ってきて空が広くなり空気が澄んできて、辺りは畑ばかりで気持ちが澄んでくる(本当に気持ち良い道中でした)何しろ川上村の藤村村長さんが村の文化の復興のためにと100年前のドイツ製スタインウェイのグランドピアノを買い求めたというお話に、私自身が大感激しての音楽会でしたから、そこで村の人達のためにそのピアノを弾くというのは嬉しいことでした。
川上村に着きますと村長さんが文化センターの入り口で迎えてくださり、そのピアノのために作られた(!?)文化センターのホールに鎮座している美しい木彫りの模様に飾られた素敵なピアノの前に案内してくださいました。何しろ100年前のピアノというのでどんな響きがするかしら、メカニックは万全に働いているかしらと心配していましたが、さすがに世界に冠たるスタインウェイでいい響きをまだ持ってました。ピアニストというのはピアノの響きに耳を傾けながら作曲家たちの音楽の言葉を語り続けているものですが、演奏しながら聴衆の方たちの歓び、音楽への感動と一緒になって音の詩の歓びを感じているのです。私はこの聴衆の方たちの音楽に深く感動し伸びる歓びを感じてくださっていることに一緒になって私もとても嬉しい思いにとらわれたのでした。私が生命を音楽にささげた音楽家であること、そして歓びをプレゼントすることができるという幸福を心から味わったのでした。
室井 摩耶子

2019-11-02

このところ作曲家の世界にちょっと凝っています。
 Haydnで、どのところでBeethovenが彼の"天才ぶり"を発見し、彼に傾倒したかについてはもう書きましたが、それに従って作曲家たちの一人一人の世界に強く掘り下げていくのが癖になり(というより そうしなければ新しい発見はできないと思いはじめ)今 Mozartの世界に掘り下げを始めました。そうしたら彼の世界に ただ ”きれい” だけでなく深い色々の味わいが出てきて「え?」「こんなに?」という発見に「なるほど!成程!」という驚きの”刻”の連続です。
この次のお話から少しづつ その歓びのお話をお届けすることができるでしょう。

 11月16日のトークコンサートが目の前に迫ってきました。
ドキドキです。

 室井 摩耶子

2019-10-28

お知らせ

緑と源流の地の音楽会

室井摩耶子のトークコンサート

ふれあいトーク ピアノは物語る


日 時
2019年11月16日(土)
開場 12:50 開演 13:20


会 場
長野県南佐久郡川上村
川上村文化センター
からまつ広場


主催 NPO法人 佐久生活文化推進機構
協賛 川上村・川上村教育委員会
​後援 長野県・長野県教育委員会


お申込み・お問い合わせ




2019-09-28

長野県川上村に何と100年前に作られたスタインウェイ(!!)のグランドピアノが鎮座してます。村長さん(藤原忠彦氏)が二十数年前 村の文化のためにこのピアノを買うということを決心したというお話が私の心を揺さぶったのだった。
しかも世界に冠たるスタインウェイのピアノ!
当時の村の予算から絞り出すのは容易なことではなかっただろう。
このグランドピアノを囲んでのお話を聞いたとき私は何か嬉しくて「行きます!行きます!」と即答したのだった。
今日 日本ではクラシック音楽というと何か高尚なものと敬遠される雰囲気になっている。
このような良い景色のもとで少人数のホームコンサートの雰囲気では「音楽とは音で書いた詩であり、小節であり、戯曲である」が人を歓びの渦に引き込めるものと大いに楽しみにしています。
遠いけれどよろしければいらしてください。
室井 摩耶子

2019-08-31

お知らせ

緑と源流の地の音楽会

室井摩耶子のトークコンサート

ふれあいトーク ピアノは物語る


日 時
2019年10月12日(土)
開場 12:50 開演 13:20

台風接近のため延期になりました。

会 場
長野県南佐久郡川上村
川上村文化センター
からまつ広場


主催 NPO法人 佐久生活文化推進機構
協賛 川上村・川上村教育委員会
​後援 長野県・長野県教育委員会


お申込み・お問い合わせ



2019-06-29

音楽

 うろ覚えのことだが前に(まーーーーーーーーえーーーーというぐらい前だが)リヒテルが「なぜ譜面を見ながら演奏なさるのですか?」と訊かれたとき「作曲家の意図したことを落としたくないからだ」と答えていたことがあった。
当時の私はピアノを演奏をするときはその音がすべて頭に入っていて それを表現することが演奏することだと思っていたからだ。あれから長い年月が経って私は音楽というものに経験を積んできた。そしてある時ふと思った。私は音楽の深遠な美を知っていない。彼らは微妙にもデリケートで光り輝く美の世界を楽譜に書き込んでいるではないか。それはハイドンのピアノソナタの23番 第2楽章 第1小節目のことだった。第4拍、左手は3連音、右手は32分音符で書かれており、厳密にリズムを守って音を出すとそのすれ違いの響きがなんと不思議な得も言われぬ心を揺さぶるではないか。ハイドンは天から与えられた感覚で新しい美を私たちに聞かせてくれたのだ。
私はリヒテルの意味を悟った。楽譜とはなんと微妙で面白いものであろう。その音楽に 妙に揺れる襞に心を任せる幸せにようやく行き着いたと思った。
「先生のピアノの音が話しかけてくれたんですよ」という、聴いてくださった方の言葉は本当に嬉しいものだった。

室井 摩耶子

2019-06-01

今まで弾いていたBachをまた弾きたくなって音を出してみました。
平均律曲集第1巻の8番 変ホ短調の涼しげな響きに、あぁ私はピアニストでよかった等と深呼吸をしています。
皆さまもBachの涼し気な抒情的な風景を楽しんでみてはいかがですか。
え?Bachにこんな優しい美しさがあるなんて一寸びっくりなさいますよ。
なんとデリケートで深いお話をしていることでしょう。

室井 摩耶子

2019-05-25

テレビ出演のお知らせ

「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ系列)
2019年5月27日(月)  21:00~

ヴァイオリニストの千住真理子さんと出演します。
是非ご覧ください。
室井 摩耶子

2019-03-30

栄誉ある文化庁長官賞をいただきました


( 宮田文化庁長官と私 )


2019.03.18   虎ノ門にある文化庁庁舎の大広間で授与式。
宮田亮平文化庁長官自身から一人一人に渡されました。
文面には「長年にわたり、ピアニストとして活躍し我が国の芸術文化の振興に多大な貢献をされました。その功績をたたえ...」とあり、それを知った方々から本当に栄誉あるあるたくさんの祝福をいただきました。
私としては長年の日々をただ「音楽、音楽」と重ねて参り、だんだん目前に広がってくる音楽の素晴らしさに圧倒され続けて、参っているということなのですが 本当にここまで私を守り育ててくださった皆様にはただ感謝の念でありがとうと申し上げる次第でございます。
この頃、漸く素直に「ねぇ音楽って素晴らしいでしょ」と話しかけることができるようになりました。でも音楽の世界は限りないものでございますので、どうかこれからもよろしくご声援くださいませ。そしてご一緒にもっと素晴らしい美の世界を楽しみたいと願っています。

室井 摩耶子

2019-03-16

 この度 文化庁より長官賞を頂くことになりました。式は3月18日
これは我が国文化の振興への貢献、その海外発信、国際文化交流の貢献に対してこの文化庁長官賞...とのことで(案内書による)全く名誉なことである。
考えてみれば ただ一筋、ピアノピアノという90年であったが結果として世の中のお役に立ててこんな嬉しいことがあるだろうかと、その日が近づくのをワクワクしながら待っている、この日頃である。
「ピアノを弾く」だの「音楽をする」などと昨日から今日へ、そしてそのように明日へと毎日を重ねていって、いつの間にか「芸術家」などと空恐ろしい言葉に近づいた私だが、今「エリーゼのために」に溢れるベートーヴェンの音楽語の深さ・広さ、あらためて世の中にこんな素晴らしいものがあったのだと、生きているよろこびを感じる毎日を過ごしている。だから私の音楽を聴いてくださった方々が「あの響き、今でも私の中で何かを話しかけているみた様…」などと褒めてくださると、私は文字通り天にも昇るほどうれしくなってしまうのだ。
「音楽には音しかない」そうだ。昨日から今日が来たように私は毎日毎日を積み重ねていこう。あの天才の音楽語の限りない美しさに近づくために...。音楽ってなんと素晴らしいものだろう。そして「人間」というものも!!!

室井 摩耶子

2019-02-23

日常茶飯事

ふつうに歩いている時は全く”転ぶ”等と意識しないで歩いている。
いま 歳を取って、しかも大腿部骨折をしたなどの後遺症で「一人で杖なしで歩いてはいけません」「何より安全第一ですから」などと人から脅かされてオタオタと転びやしないかと一歩一歩気を付けて歩いている。
あのスタスタと歩いている人を見るたびに羨ましくてならない。それで あの"転ぶ"などということを考えないで”歩く”って何だろうと気を付けるようになった。つまり、かかとが先か、つま先に着地している運動なのかしらと考えながら歩いていると、ますます不安になりオタオタ度が増えてくる。皆さん”歩く”っていったいどんな運動なのか意識したことがおありですか?
じつはこの間、週刊誌に「女流作家」という字が出てきて、そういえば”作家”に女流という形容詞が付くのはおかしいと思ったことがあって、そういえば?と そのことをえらく意識してしまった。
作家といえば男性だったなぁと意識してしまう。言葉というものはなんと不思議なものだろうと思考をめぐらすことになった。そういえば この頃は女性作家という実に不愉快なニュアンスを持った言葉が出てきた。
この女流作家と女性作家はちょっと意味が違って使い方もその言葉のニュアンスに気を付けなければならないし私はやはり時代の移りを思わないではいられない。
”日常茶飯事” という定義も覚え直さなければならない。
どうも98歳という古い人間にとっては生きがたい時代となってきた!?というわけだ。
週刊誌の他のページには日本人は日本語が読めないとあったが…。
室井 摩耶子

2019-02-16

1月終わり頃、 東京芸術劇場で井上道義さんの総監督、森山開次さんの演出でモーツァルトのドン・ジョヴァンニの公演に出かけてきた。
オペラというので私はヨーロッパで観たオペラ経験からオペラ公演を想像したのだが(常識というのはファンタジーの自由な世界をずいぶん邪魔するものだと後で思い知ったのだが)それはモーツァルトの音楽とオペラの歌い手とそして舞踏のカテゴリーを新しく組み合わせた新演出の企画だった。主役のジョヴァンニとその他の配役はヨーロッパの歌手であって実に見事に歌っていた。
ブラボーという掛け声が盛んに飛び交っていた。
日本人のコロラトゥーラもよく歌っていた。張り上げたコロラトゥーラの声が見事に美しかったが、時にオペラの音楽の流れを遮りこれがあちらの歌唄いだと、もうちょっと音楽の流れに乗っていたのじゃないかとせっかくのテクニックの見事さに異質を感じさせたのはちょっと残念だった。そういえば井上道義さんはさすがにモーツァルトの音楽の要所要所を見事にまとめ上げ、演奏を大きな枠にはめ、昔の音楽の先生としては私は彼の音楽人間としての成長に本当に誇りを感じたのだった。もし私の思い違いでなければ”この新しい企画のフォームのオペラの将来はどんなのだろう”と期待にとらわれながら劇場を後にしたのである。
室井 摩耶子

2019-01-12

新年 あけましておめでとうございます。
お正月になったら急に寒くなって、いかにも冬という感じになってまいりました。
皆様は良いお年をお迎えになりましたか?
私は年末 体調を崩して体力も気力もなしに2019年を迎えてしまいました。
だが今年こそは念願だったサティのCDを作ろうと精出してお雑煮やおせちをいただきました。
皆様とご一緒に元気な年を迎えましょう。
室井 摩耶子