2014-07-19

前回の続き…

ふとふり返ってみると、25年前と今では、社会がもう全然違っているのです。日常の在り様も、パソコン、スマホ等とテンポも速くなっているし、すべて超便利になつています。毎日のことで自分では身に泌みて感じなくても当然この社会にかこまれて、我々の生活感情も変って来ている筈でしよう。
さて今 私のやっている"音楽"とは、今生きている我々の感情の"感情そのもの"に根附いているもので、そうだとすると私が今まである理想を掲げて必死に追い求めていたものが、それで良いのだろうか?とふと思ってしまうのです。価値観の変遷!!!にどう対処するの?など恐ろしい命題が浮び上ってくるのです。
既に1932年 E.Fischerが書いた本に「失われた故郷への憧れ」等と云っているし、創造的力量は我々を永久な世界にもって行ってくれるだろうなどと云っているのです。
私は作曲界に12音音階作法が出て来たころ、Kempffが「ああ云ったものは間もなく消えさるだろう」等と云っているのを聞いたことがあります。がそれは長い目でみればふとした出来事でなく、長い発展の展史の一コマにはめこまれたものだったのでありましょう。
そして皆、人の魂の永遠に光る星を求めて苦闘していると云うことなのであります。
私はやっぱりハイドンやベートーヴェンの計りしれぬ天才の翼のはばたきを追いつつ、今生きている人達にその美しさを送る使命をおびているという事でしよう。その使える魂の"深さ" "美しさ"は、私達に本当に生きている歓びを与えてくれるんですもの。

室井摩耶子

2014-07-11

この間、何かの本を探していたら紀伊國屋の包み紙でカバーされた「ピアニストの思考」(福田達夫著)という本をみつけました。昔私は包装紙で本のカバーを作ってました。成程(1989年11月20日第一刷)とありましたから、恐らく出版された直後に手に入れたものでしよう。 開いてみると、仲々面白そうなタイトルが並んでいたので目を通してみました。すると中に書かれた内容が丁度私がもっている思考方向とよく似ているし出てくる問題提起をしている音楽家達がシエナーベルだのランドフスカ、エドウィン・フイッシヤー等となつかしい名手の名前がずらっと並び、興味津々でよみふけってしまいました。それは昔の事(25年前に書かれたもの)を思い出して懐かしむというのではなく、今の考えとして私の中で生々としている事が多くあるので一寸びつくりしています。
私は今でも“ステージ上のピアニスト”と云う地盤の上に生活のベースを置いていますので一日一日が全く音楽の中で生活しています。音楽が私の中で息づいていると云っても良いでしょう。そう云うことでこの名手達の名前も“昔のエライ人”の世界に存在するよりは今の私の中でその音楽に囲まれて息をしていると云った方が正しそうです。

つづきは今度お話しします。

室井摩耶子