今は12月21日の音楽会に向けて準備中です。
ハイドンやべートーヴェンの素晴しい物語を堪能して下さい。
室井 摩耶子
2014-11-22
「エリーゼのために」を弾いてみました。音楽のお話をお楽しみ下さい。
音楽というものはただ音が並んでいるだけでなくて音がお話しをしてくれているのです。
最初の録音と二番目を聴き比べてみて下さい。違うでしょう。
最初の録音と二番目を聴き比べてみて下さい。違うでしょう。
室井 摩耶子
2014-09-20
2014-07-19
前回の続き…
ふとふり返ってみると、25年前と今では、社会がもう全然違っているのです。日常の在り様も、パソコン、スマホ等とテンポも速くなっているし、すべて超便利になつています。毎日のことで自分では身に泌みて感じなくても当然この社会にかこまれて、我々の生活感情も変って来ている筈でしよう。
さて今 私のやっている"音楽"とは、今生きている我々の感情の"感情そのもの"に根附いているもので、そうだとすると私が今まである理想を掲げて必死に追い求めていたものが、それで良いのだろうか?とふと思ってしまうのです。価値観の変遷!!!にどう対処するの?など恐ろしい命題が浮び上ってくるのです。
既に1932年 E.Fischerが書いた本に「失われた故郷への憧れ」等と云っているし、創造的力量は我々を永久な世界にもって行ってくれるだろうなどと云っているのです。
私は作曲界に12音音階作法が出て来たころ、Kempffが「ああ云ったものは間もなく消えさるだろう」等と云っているのを聞いたことがあります。がそれは長い目でみればふとした出来事でなく、長い発展の展史の一コマにはめこまれたものだったのでありましょう。
そして皆、人の魂の永遠に光る星を求めて苦闘していると云うことなのであります。
私はやっぱりハイドンやベートーヴェンの計りしれぬ天才の翼のはばたきを追いつつ、今生きている人達にその美しさを送る使命をおびているという事でしよう。その使える魂の"深さ" "美しさ"は、私達に本当に生きている歓びを与えてくれるんですもの。
室井摩耶子
さて今 私のやっている"音楽"とは、今生きている我々の感情の"感情そのもの"に根附いているもので、そうだとすると私が今まである理想を掲げて必死に追い求めていたものが、それで良いのだろうか?とふと思ってしまうのです。価値観の変遷!!!にどう対処するの?など恐ろしい命題が浮び上ってくるのです。
既に1932年 E.Fischerが書いた本に「失われた故郷への憧れ」等と云っているし、創造的力量は我々を永久な世界にもって行ってくれるだろうなどと云っているのです。
私は作曲界に12音音階作法が出て来たころ、Kempffが「ああ云ったものは間もなく消えさるだろう」等と云っているのを聞いたことがあります。がそれは長い目でみればふとした出来事でなく、長い発展の展史の一コマにはめこまれたものだったのでありましょう。
そして皆、人の魂の永遠に光る星を求めて苦闘していると云うことなのであります。
私はやっぱりハイドンやベートーヴェンの計りしれぬ天才の翼のはばたきを追いつつ、今生きている人達にその美しさを送る使命をおびているという事でしよう。その使える魂の"深さ" "美しさ"は、私達に本当に生きている歓びを与えてくれるんですもの。
室井摩耶子
2014-07-11
この間、何かの本を探していたら紀伊國屋の包み紙でカバーされた「ピアニストの思考」(福田達夫著)という本をみつけました。昔私は包装紙で本のカバーを作ってました。成程(1989年11月20日第一刷)とありましたから、恐らく出版された直後に手に入れたものでしよう。 開いてみると、仲々面白そうなタイトルが並んでいたので目を通してみました。すると中に書かれた内容が丁度私がもっている思考方向とよく似ているし出てくる問題提起をしている音楽家達がシエナーベルだのランドフスカ、エドウィン・フイッシヤー等となつかしい名手の名前がずらっと並び、興味津々でよみふけってしまいました。それは昔の事(25年前に書かれたもの)を思い出して懐かしむというのではなく、今の考えとして私の中で生々としている事が多くあるので一寸びつくりしています。
私は今でも“ステージ上のピアニスト”と云う地盤の上に生活のベースを置いていますので一日一日が全く音楽の中で生活しています。音楽が私の中で息づいていると云っても良いでしょう。そう云うことでこの名手達の名前も“昔のエライ人”の世界に存在するよりは今の私の中でその音楽に囲まれて息をしていると云った方が正しそうです。
つづきは今度お話しします。
室井摩耶子
私は今でも“ステージ上のピアニスト”と云う地盤の上に生活のベースを置いていますので一日一日が全く音楽の中で生活しています。音楽が私の中で息づいていると云っても良いでしょう。そう云うことでこの名手達の名前も“昔のエライ人”の世界に存在するよりは今の私の中でその音楽に囲まれて息をしていると云った方が正しそうです。
つづきは今度お話しします。
室井摩耶子
2014-06-28
2014-06-07
2014-05-31
2014-04-29
2014-04-12
2014-03-29
新しいパソコンが来ました。

なかなか美味しそうです。
でも もう季節は3月の終わり。
桜と椿とドウダンツツジのお花が一斉に咲いて"良い季節ですよ"とピアノの部屋に座っている私を楽しませてくれます。
実は一か月も前の話ですが 2月25日はハイドンのピアノ・ソナタ ハ長調Hob.XVI/50 とワルドシュタインのCD録音に臨みました。後はトークの部分の原稿作りとその録音が残っています。CDでは皆様とお目にかかれませんがお話しできるのがうれしゅうございます。
ハイドンは日本では子供の弾くあまり面白くない曲になっています。
楽譜を睨んで音に出してみるとどうしてこんなにピアノが種々の感情をお話ししてくれるのかと彼の天才ぶりと音楽の不思議さと面白さに、弾いても弾いても奥深く限りありません。

ハイドンは文字通り天才でその符号の不思議を次から次へと展開していくのです。音の
ない休符でも その前の響きの離し方ひとつで、中を流れる音楽は違ってくるのです。
その度に人間のやることってなんと素晴らしい!!と圧倒されています。
その音楽の素晴らしさをぜひ聴きに来てくださいね。
室井 摩耶子
2014-01-25
漸く1月18日に「室井摩耶子を囲む会」の音楽会が終わりました。
12月15日の音楽会をキャンセルしたために多数の方々にご迷惑やらご心配をおかけして申し訳ございませんでした。
寄る年波とはよく申しますが音楽のよろこびに浸っているうちに いつの間にか忍び寄って悪さをしてくれるので怒っています。
この間の音楽会は思いもかけずモンゴルの大使もお見えくださってご一緒くださったモンゴル一のアーティストとおっしゃる方も私のハイドンのソナタの演奏が終わるや否や立ち上がって大拍手をしてくださり私も大感激いたしました。
この音楽会は私が若かりしころにお教えした方たちが もうおじさまやおばさまになり座席で聴いていますと それぞれが自分の人生をベースにとっても個性的な音楽を聴かせてくれて大変面白く私はうれしゅうございました。
90歳にならないとこういう教育の結果を体験することはありえないので また私の頭陀袋の内容物が増えたということです。
室井 摩耶子
寄る年波とはよく申しますが音楽のよろこびに浸っているうちに いつの間にか忍び寄って悪さをしてくれるので怒っています。
この間の音楽会は思いもかけずモンゴルの大使もお見えくださってご一緒くださったモンゴル一のアーティストとおっしゃる方も私のハイドンのソナタの演奏が終わるや否や立ち上がって大拍手をしてくださり私も大感激いたしました。
この音楽会は私が若かりしころにお教えした方たちが もうおじさまやおばさまになり座席で聴いていますと それぞれが自分の人生をベースにとっても個性的な音楽を聴かせてくれて大変面白く私はうれしゅうございました。
90歳にならないとこういう教育の結果を体験することはありえないので また私の頭陀袋の内容物が増えたということです。
室井 摩耶子
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